妖怪道中記 民話・伝承編

河童新聞掲載「浅草の河童」

伝承編-妖怪レポ番号16 2021/11/28

世界中に広がる河童連邦共和国の発行する「河童新聞」。
光栄なことに、道中記でまとめたかっぱ寺の河童の記事が2021年発行の231号に掲載されました!

その内容をここで発表したいと思います。
「かっぱ寺の河童」の一から三までをコンパクトにまとめた内容となっています。
道中記の河童をまだ読んでない方は、最初にここを読んで、さらに深掘りしたくなったら一から三を読まれるといいかも知れません。

浅草の河童イメージ。妖怪しおり「かっぱと人」をデジタル加工したもの。
浅草の河童イメージ。妖怪しおり「かっぱと人」をデジタル加工したもの。

まえがき・大まかなあらすじ

国民の皆さんこんにちわ!「しろた」というハンドル名で、江戸の妖怪をテーマにしたwebサイトを運営してます。

そのひとつとして、江戸は徳川の時代。隅田川から現れ、水害に困っていた人々に手を貸し治水の工事を完成させた河童を追っています。
webサイトにレポートを公開してますが、国民の皆さんにもお話したくて投稿します。もし、よろしければ付き合い下さいませ。

河童連邦共和国が発行するかっぱ新聞
河童連邦共和国が発行するかっぱ新聞

隅田川から現れた河童 あらすじ

雨合羽屋の喜八が、私財を投じて隅田川から排水する掘割工事を進めてたが、私財もそこを尽き工事が行き詰ってしまう。
過去、喜八に恩があった隅田川の河童たちがその様子を見て工事を手伝い、人々と協力し合って一大工事を完成させるという、大変ドラマチックな言い伝えです。
治水工事の立役者となった河童は、ご存じ東京 松ケ谷にある曹源寺に河童大明神として祀られ、近年では合羽橋商店街に金ぴかのド派手な河童像が建てられました。

さて、この隅田川から来た河童たちはいったい何ものなんでしょうか?

河童が住んでいた隅田川について

まず隅田川ですが、当時の浮世絵が多く描かれ、能や歌舞伎では梅若丸と母の悲劇を描いた「隅田川もの」が生まれ、さらに舟遊びも盛んだった事から、江戸の文化を育んだ場所である事が伺えます。
その一方、河童伝承にもある通り、隅田川は繰り返し氾濫が起こし水害をもたらす荒ぶる川だったそうです。
人々が集まり・文化を育む・・・江戸のシンボル的な存在であった隅田川は、同時に人々が制御しきれない自然の驚異の対象でもありました。

さらには、浅草側(台東区)から見て、川を挟んだ反対側にある墨田区を「川向こう」とも呼ばれ、当時川を挟んだ墨田区側は下総国に属していました。
古代より日本人は、生と死・年の区切り・場所の区切り…何かの「境」にある場を特別視・神聖視をしてきました。それと同様に、浅草周辺で暮らす人々にとって「川向こう」はある意味異界であり、隅田川はその境という特別な空間でもあったのだと思います。

江戸に住まう人々にとっての隅田川は「非日常」を体感する華やいだ盛り場であると同時に、畏れを抱く特別な空間でもあった。
異形のものが誕生するシュチュエーションには十分の場であったと言えましょう。

河童は何ものだったのか

当時、浅草の特に隅田川周辺に定住していた人たちがいました。

古くから「河原ノ者」と呼ばれ、牛馬などの皮を剥ぎ・なめして生計を立てていた人たちです。
一説では、年末年始に現れ、年の終わりを告げ・新年を祝い・芸を披露した、節季候(せきぞろ)や猿回しなどの芸能民としての役割もあったと言われています。
さらに年末年始の江戸の町に彩りを与えたであろうその芸能民たち。彼らは、古くは神と人を結ぶ特別な力を持つ者として、神聖視されていました。
牛馬の皮をなめして生計を立てていた人たちも同様に、殺生に関わる生と死を超越せし者として特別視・神聖視されていました。

なぜこの話をするのかと言いますと実は、
「隅田川から来た河童の正体が、浅草に住んでいて差別を受けていた人たちだった」
と見聞きしたことがあり、その理由が知りたくてそのルーツを内容を調べていたんです。

江戸時代・明治維新後にも確かに差別を受けていた人たちですが、調べれば調べるほど、時代を遡れば遡るほど、神に近しく神聖な存在になっていきます。

畏怖の存在であった河童と忌避であると同時に特別視・神聖視されていた河原ノ者へに対する「畏れ」は、どこか似ているのではないかと思いました。
実際のところどうだったかはタイムスリップでもしない限り分かりませんが、河原者が戦国時代までは治水を含めて土木工事に従事していた事例もありますし、「忌み嫌われている人々と『一緒になって協力して工事を完成させた』なんて大っぴらに出来ないから河童ということになった」と想像するとつじつまも合いますね。

隅田川の写真
川は今でも変わらずに 流れ続けていた

まとめ

合羽屋喜八と町の人々を助けた隅田川から来た河童のお話を知ったのは、台東区の伝承を紹介する紙芝居からです。人々は異形の存在である河童を受け入れ、本来は決して交わるはずのない異なる者同士が協力し合い、困難を乗り越える。
お話としてこの伝承を知った時、違いを超えて認め合うことの素晴らしさという強いメッセージがあるように思いました。

その河童が江戸時代の被差別民であった場合_

今でも社会問題にもなっていますし、差別や偏見自体は古今東西絶えずあります。なので決して美談とは言えませんが、偏見や身分の垣根を超えて協力し合い、それによって困難を乗り越えた。
これはこれで強いメッセージ性を感じずにいられません。

私は、この隅田川から来た河童の伝承とその正体とも言われる河原ノ者と呼ばれた人たちに、

「人はすべてを超越して認め合っていける」

そんな夢とロマンがあるように感じるんです。
なので、国民の皆さんにお話ししたいと思いました。

最後まで読んでくれて有難うございました!

2021年1月 あさくさかっぱ村 しろた

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