妖怪道中記 現代編

鬼っ子ハンターついなちゃん その弐
方相氏とケガレ思想

レポート番号6 2022/04/10

鬼っ子ハンターついなちゃんに迫る! その弐「方相氏とケガレ思想」

最前線の妖怪事情や民俗信仰に注目する、妖怪道中記の現代編。

今回はご紹介するのは、
鬼っ子ハンターついなちゃん。そして、ついなちゃんの設定でもある方相氏について。

3部構成で順番にお届けします。

平安のケガレ思想

民話・伝承編「かつて穢れとされ、賤視(差別)されていた人々の事」では、
日本には、仏教により「死」に関する事柄を「穢れ」として忌避(嫌がって避ける)する思想が根付いていた。やがて「穢れ」に対する忌避は、それを担う人々に向けられるようになり、未来に禍根を残す差別に繋がっていったことを書きました。

そしてそれは、「方相氏」も例外ではありませんでした。

方相氏の背景

鏡と天照大御神をイメージしたイラスト
イラストAC様から拝借

方相氏は、中国から取り入れられた、かつて大儺と呼ばれた宮中祭祀に登場する神(鬼神)で、疫病の鬼を祓う役割でした。
登場した最も古い記録は、706年(飛鳥時代 慶雲3年)(「続日本書紀」)。この時代は疫病が猛威を振るっていました。
もう一つの役割として、天皇の葬送の際に葬列を先導し邪を祓う露払いも、一時期行っていました。

このことから、「神聖なるものとして生と死の境界に立ち、清めを担う」特徴を持っていたことが、分かります。

やがて、平安時代初期(870年あたりから)、「大儺」という儀式の名称が「追儺」に移り変わります。
この時期は、生と死の境界に立ち「清め」を行っていた人々を、ケガレそのものと忌避していったとする時期と重なります。同人イベントで入手した「『鬼っ子ハンターついなちゃん』ドゥルルゥのコーナー構成台本集」(以下、「公式ブック」)には、

また、それ(陰陽師が追儺式を取り仕切っていること)が関係あると一部では言われていますが、ケガレ思想の高まりと共に、鬼を遂い祓う方相氏自体を、忌み嫌い、避ける考え方が出てきます。

公式ブックより

とあり、やはり方相氏も「鬼(ケガレ)を祓う者」から「鬼(ケガレ)そのもの」へと変貌を遂げています。
また、「追儺」へ名称の変化があったあたりから、儀式の内容の変化が見られ、方相氏の扱いも変わっていったとも言われています。(論文「追儺における呪文の名称と方相氏の役割の変化について(Gras Alexandre氏 )」参考)

祓われる鬼へと変化していった理由について。公式ブックの内容を纏めると、以下になります。

  • 見た目が恐ろしい
  • 「病」と「死」、ケガレ思想が最も避ける要素を持っていた
  • 弓矢を持った貴族や子どもたちを率いて、「目に見えない」鬼を追い回す様子が、逆に方相氏が追い回されているように見えてしまった

様々な要因が重なってしまっていますが、その根底にはケガレ思想が見え隠れします。

平安の世。人々の間で増大する抱く不安や恐れ。その解消のために、かりそめの代償を方相氏に求めていったのでしょうか?

方相氏をはじめとする、平安時代のケガレ思想によって賤視の対象だった人々(総称して「河原ノ者(仮)」と呼ぶことにします)の本質は、「祓う者・生と死の境界に立つもの」なのではないかと考えます。

それはすなわち、生と死・聖と不浄のどちらも受け入れる懐の深さ、未来に残したい日本の和が見出せます

余談になりますが、病・ケガレをその身に請け負い人々を病から守る素戔嗚尊すさのおのみことの化身が、病を振り撒く浅草の妖怪の牛鬼になったという妖怪レポートがあります。

京の祇園にルーツがあるようですが、本来はケガレを祓う役割であったことが共通していますね。
病を避けて、生き続けたい。古代から続く、生への願いが込められてのことだと思います。

民話・伝承編「浅草の牛鬼 一」

浅草の牛鬼
浅草の牛鬼(しろた作)

「弐 方相氏とケガレ思想」は、これにて終了です。続きの参では、その後の方相氏に触れてみたいと思います。

文:妖怪館

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