2026年7月16日(木曜日)
去年は断念した日光の妖怪「ねね」と大太刀 祢々切丸追う #ねね散歩 今年の2026、伝承を求めて再び日光訪れた。 前回は、二荒山神社中宮祠の宝物館にて、初めて祢々切丸と邂逅した様子を公開。 今年のねね散歩は、ねねの情報を求めて日光市にある図書館などを巡ったため、そこで分かったことを皆さんにシェアしたい。 (怪しい旅人に親切に応対してくれた、日光の皆さまに感謝) 大太刀 祢々切丸の逸話に登場する化物ねねは、「子子」「祢々」と資料によって漢字が異なる。 祢々切丸にはいくつかの伝説があるが、ねねはそのうちの一つに登場する。 次は、鳴虫山に「子子」という怪しい虫がいて、人々に危害を加えて仕方がない。或る日の事、この虫が出て、子子と鳴いて人々を怖がらせた。その時、二荒山神社の拝殿からこの太刀が飛び出て、子子虫を追い廻した。子子虫は山を抜け出し、 日光の故実と伝説「七、祢々切丸と鳴虫山の由来」|栃木県連合教育会より 鳴虫山の名の由来はもう一つある。 鳴虫山には、もともと ここで、祢々切丸に追われたねねの動きを振り返ってみる。 この動きは、鳴虫山を下り、大谷川を経て、男体山を開いた、勝道上人の修験の道のりを彷彿する。 当時の人々は、鳴虫山に雲がかかっている時の陰鬱さそのものに対し、不安を抱いていた。 これらを踏まえると、妖怪ねねは人々の自然の驚異や営みを脅かされる不安の体現。 この先も続くのですが、ゲーム「刀剣乱舞」の祢々切丸修行の手紙のネタバレとなります。 刀剣乱舞をプレイしている審神者の皆さんならご存じの方も多いが、 「祢々というのは……平たく言えば河童だな。」 という衝撃発言があった。 だから河童の線も調べた(100%ゲームの創作の可能性も十分考えられる)。 まずは、栃木県全域の河童の伝承を探してみた。 他にねねという語源から、 もう1点。 結局、ねねと河童と結びつく要因はこの二つだけであった。 「水害が妖怪のかたちとなって現れたもの」とも手紙にあり、そこにヒントがあるかも知れないが、今のところ突破口は見えてこない。 なのでねねちゃんは多分、 「妖怪だから河童でいいだろう」 そんな感覚で河童認定した…ということでとりあえず納得した(妄想)。「平たく言えば」だし。ねねちゃんだから、多分それでいい。 また祢々切丸の手紙の内容は、ここの記事を踏まえると とても納得出来る内容になっている(河童は置いておいて)。読んだことが無い方は、機会があれば読んでみてほしい。2026年は資料漁りの旅
日光の祢々切丸を訪ねて2024|妖怪雑記帳妖怪ねねについて
よって、うちではねねとした。
よって、この沢を「子子が沢」(今の安養院)と称し、子子虫の鳴いた山を「鳴虫山」とつけたと。
山に雲がかかり今にも雨が降り出しそうな時に漂う陰気な様子を見た人々が、泣き虫の子ども…「泣き虫坊主」を連想したため、
いつしか鳴虫山と呼ばれるようになったというもの。考察 ねねと山岳信仰
泣き虫坊主の言い伝えも、どうやら峰修験の場の伝説として日光輪王寺にある古文書に記されているようだ。
ねねと祢々切丸の伝承は、勝道上人の開山から始まった山への信仰と、切っても切れない関係がありそうだ。
大谷川もまた、荒ぶる川で人々の脅威だった。
さらに伝承が生まれたと思われる年代は江戸幕府前、南北朝時代から室町時代にかけての戦乱真っ只中と思われ、人々はより多くの不安を抱えていたと想像できる。
そして祢々切丸のオートマティック伝説は、人々の不安を取り除かんとする修験者たちの山への祈りから生まれた、ということに違いない。今年の日光写真いろいろ
ご注意
大丈夫な方だけ、下にスクロールしてお読みください。考察 祢々切丸手紙にあった「ねね」の正体について
刀剣男士「祢々切丸(通称:ねねちゃん)」は、修行中に審神者(プレイヤー)に向けて書く手紙に、
あるにはあった。しかし、伝承に登場する大谷川には一つも無く、他の河童伝承も大谷川やねねに繋がるものは無かった。
「利根川を取り仕切っていた禰々子河童の可能性は無いか?」
と思い流域をたどってみたところ、大谷川は鬼怒川と繋がっていて、鬼怒川は現在の千葉県で利根川と合流していた。一応、地形的繋がりはある。
大谷川は氾濫が絶えない、人々にとって脅威となる川であるかを探ってみた。
一番古くは室町時代に大洪水の記録があり、後年も被害をもたらしている記録があることから、こちらは該当しているもよう。
……かなり無理がある(笑。
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