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ブログ「雑記帳」

ぶろぐ 妖怪雑記帳

日光の「ねね」と祢々切丸を訪ねて2026【ラスト刀剣乱舞ネタバレあり】

2026年7月16日(木曜日)

2026年は資料漁りの旅

日光郷土センターの日光仮面(中年)|日光の「ねね」と祢々切丸を訪ねて2026
日光郷土センターの日光仮面(中年)

去年は断念した日光の妖怪「ねね」大太刀 祢々切丸追う

#ねね散歩

今年の2026、伝承を求めて再び日光訪れた。

前回は、二荒山神社中宮祠の宝物館にて、初めて祢々切丸と邂逅した様子を公開。
日光の祢々切丸を訪ねて2024|妖怪雑記帳

今年のねね散歩は、ねねの情報を求めて日光市にある図書館などを巡ったため、そこで分かったことを皆さんにシェアしたい。

(怪しい旅人に親切に応対してくれた、日光の皆さまに感謝)

妖怪ねねについて

大太刀 祢々切丸の逸話に登場する化物ねねは、「子子」「祢々」と資料によって漢字が異なる。
よって、うちではねねとした。

祢々切丸にはいくつかの伝説があるが、ねねはそのうちの一つに登場する。

次は、鳴虫山に「子子」という怪しい虫がいて、人々に危害を加えて仕方がない。或る日の事、この虫が出て、子子と鳴いて人々を怖がらせた。その時、二荒山神社の拝殿からこの太刀が飛び出て、子子虫を追い廻した。子子虫は山を抜け出し、大谷川(だいやがわ)を渡り、向かいの沢を上り、遂に二荒山神社の前まで追いつめられて斬られてしまった。
よって、この沢を「子子が沢」(今の安養院)と称し、子子虫の鳴いた山を「鳴虫山」とつけたと。

日光の故実と伝説「七、祢々切丸と鳴虫山の由来」|栃木県連合教育会より

鳴虫山の名の由来はもう一つある。
山に雲がかかり今にも雨が降り出しそうな時に漂う陰気な様子を見た人々が、泣き虫の子ども…「泣き虫坊主」を連想したため、
いつしか鳴虫山と呼ばれるようになったというもの。

考察 ねねと山岳信仰

鳴虫山には、もともと大懺法嶽(だいせんぽうだけ)と呼ばれ、日光山衆徒の峰修行の道場であった。
泣き虫坊主の言い伝えも、どうやら峰修験の場の伝説として日光輪王寺にある古文書に記されているようだ。

ここで、祢々切丸に追われたねねの動きを振り返ってみる。

  • 1.鳴虫山を棲みかとする
  • 2.山から逃げ出し、大谷川に出た
  • 3.向かいの沢を上る
  • 4.二荒山神社の前に追い詰められ、斬られる

この動きは、鳴虫山を下り、大谷川を経て、男体山を開いた、勝道上人の修験の道のりを彷彿する。
ねねと祢々切丸の伝承は、勝道上人の開山から始まった山への信仰と、切っても切れない関係がありそうだ。

開山碑文の礎石(二荒山神社中宮祠にて)|日光の「ねね」と祢々切丸を訪ねて2026
開山碑文の礎石(二荒山神社中宮祠にて)

当時の人々は、鳴虫山に雲がかかっている時の陰鬱さそのものに対し、不安を抱いていた。
大谷川もまた、荒ぶる川で人々の脅威だった。
さらに伝承が生まれたと思われる年代は江戸幕府前、南北朝時代から室町時代にかけての戦乱真っ只中と思われ、人々はより多くの不安を抱えていたと想像できる。

これらを踏まえると、妖怪ねねは人々の自然の驚異や営みを脅かされる不安の体現。
そして祢々切丸のオートマティック伝説は、人々の不安を取り除かんとする修験者たちの山への祈りから生まれた、ということに違いない。

今年の日光写真いろいろ

日光郷土センター|日光の「ねね」と祢々切丸を訪ねて2026
日光郷土センター
勝道上人の伝説がある神橋の模型|日光の「ねね」と祢々切丸を訪ねて2026
日光郷土センター 勝道上人の伝説がある神橋の模型
大谷川と繋がる中禅寺湖。この日は霧が出てて神秘的な雰囲気。|日光の「ねね」と祢々切丸を訪ねて2026
大谷川と繋がる中禅寺湖。この日は霧が出てて神秘的な雰囲気。
霧がかかった二荒山神社中宮祠|日光の「ねね」と祢々切丸を訪ねて2026
霧がかかった二荒山神社中宮祠
お昼ご飯でいつも立ち寄る滝の近く|日光の「ねね」と祢々切丸を訪ねて2026
いつもお昼ご飯で立ち寄る竜頭の滝近くにあるスゴイ木彫り

ご注意

この先も続くのですが、ゲーム「刀剣乱舞」の祢々切丸修行の手紙のネタバレとなります。
大丈夫な方だけ、下にスクロールしてお読みください。






















考察 祢々切丸手紙にあった「ねね」の正体について

刀剣乱舞をプレイしている審神者の皆さんならご存じの方も多いが、
刀剣男士「祢々切丸(通称:ねねちゃん)」は、修行中に審神者(プレイヤー)に向けて書く手紙に、

「祢々というのは……平たく言えば河童だな。」

という衝撃発言があった。

だから河童の線も調べた(100%ゲームの創作の可能性も十分考えられる)。

ゲーム内スクショ|日光の「ねね」と祢々切丸を訪ねて2026
ゲーム内スクショ

まずは、栃木県全域の河童の伝承を探してみた。
あるにはあった。しかし、伝承に登場する大谷川には一つも無く、他の河童伝承も大谷川やねねに繋がるものは無かった。

他にねねという語源から、
「利根川を取り仕切っていた禰々子河童の可能性は無いか?」
と思い流域をたどってみたところ、大谷川は鬼怒川と繋がっていて、鬼怒川は現在の千葉県で利根川と合流していた。一応、地形的繋がりはある。

もう1点。
大谷川は氾濫が絶えない、人々にとって脅威となる川であるかを探ってみた。
一番古くは室町時代に大洪水の記録があり、後年も被害をもたらしている記録があることから、こちらは該当しているもよう。

  • 山から逃げた先の大谷川は、禰々子河童の取り仕切る利根川と繋がっている(かなり遠くで)
  • 大谷川は氾濫が絶えず人々にとって脅威の側面があった

結局、ねねと河童と結びつく要因はこの二つだけであった。
……かなり無理がある(笑。

「水害が妖怪のかたちとなって現れたもの」とも手紙にあり、そこにヒントがあるかも知れないが、今のところ突破口は見えてこない。

なのでねねちゃんは多分、

「妖怪だから河童でいいだろう」

そんな感覚で河童認定した…ということでとりあえず納得した(妄想)。「平たく言えば」だし。ねねちゃんだから、多分それでいい。

また祢々切丸の手紙の内容は、ここの記事を踏まえると とても納得出来る内容になっている(河童は置いておいて)。読んだことが無い方は、機会があれば読んでみてほしい。

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