妖怪道中記 伝承編

吉原遊郭 稲荷の謎 その弐
稲荷と陰陽道の繋がり

レポート番号18 2026/02/14

吉原遊郭 稲荷の謎「その弐 吉原遊郭の稲荷と陰陽道の繋がり」

江戸浅草の地に息づく土着の神々と妖の影を追う、妖怪道中記は伝承編。
今回は、2025年の大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺」にて名を知らせた九郎助稲荷くろすけいなりをはじめとした
新吉原に祀られ、時の人々に親しまれた稲荷神社の謎と神秘へと歩を進める。

4部構成で順番にお届けしよう。

その弐 本文はこちらから

新吉原の四隅にはそれぞれ稲荷社が据えられ、
さらにその外側――大門へと続く五十間通ごじっけんみちの入口にも、
もう一つの稲荷神社が祀られていたという。

やがて四つの稲荷社は、国の合祀政策の流れの中で吉徳稲荷へと集められ、
明治14年、現在の吉原神社として姿を整える。

吉原神社の宮司殿の言によれば、
四隅と外側の稲荷社が結界のように張り巡らされ、
吉原遊郭全体を守護していたのだという。

現在の吉原神社|吉原遊郭 稲荷の謎
現在の吉原神社

稲荷社により施された呪術

実際に、稲荷社があったと思われる四隅を巡ってみることにした。
道中風俗の店が立ち並び、通行人と目が合った時の気まずさがあったものの、思わぬ名残りを発見する。

巡っているうちに、ふと思うところがあった。

「何か呪術めいた意図があるのではないだろうか?」

そう。それぞれの稲荷が方位に即して配置されている
筆者は陰陽道や風水の施しを想起した。

新吉原稲荷社 配置マップ|吉原遊郭 稲荷の謎
新吉原稲荷社 配置マップ

それぞれの稲荷の方位を、現在の地図で確認してみよう。

  • 明石稲荷(東)
  • 松田稲荷→開運稲荷(西)
  • 九郎助稲荷(南)
  • 榎本稲荷(北)

松田稲荷を開運稲荷としているのは、松田稲荷の名だけ現在に残っていないため推測で割り当てた。

このように、ちょうど東西南北に配置された状態だ。

そして、大門の外側にある吉徳稲荷は、北の榎本稲荷と東の明石稲荷の間、東北(艮)に位置していた。

「吉原はこうしてつくられた(西まさる/新葉館出版)」によると、
これら五つの神社を星に見立て、五十間道を含めて俯瞰すると、北斗七星の形になるという。
陰陽道では北斗七星は邪悪を打ち払い、国を守る力がある、とのことだ。

つまり、新吉原全体が

陰陽五行に基づいた結界によって霊的に守護されていた

ということになる。

四つの稲荷の中で、九郎助稲荷は特に人気があり、吉原俄にわかも九郎助稲荷の祭礼といわれている。 九郎助稲荷の起源となる白狐・黒狐のエピソードなどは、蔦重ワールドに詳しい。

べらぼう 九郎助稲荷(くろすけいなり) | 蔦重ワールド

五十間道と反閇へんばい

悪所である遊郭街を一般社会から隔離するために作られた吉原大門へ続く道、五十間通

当初は直線で三十間だったが、南町奉行の指示で三度曲がる“くねくね道”となり五十間になった。
なぜこんな面倒で、文字通り回りくどい道になってしまったのか。その理由としては、

「お忍びの遊客が外から見られないようにするため」

という説が広く知られている。

しかし、同書(「吉原はこうしてつくられた」)にはもう一つの示唆がある。
それは、陰陽道の呪法「兎歩・反閇」である。

五十間通の名残りが残る 旧吉原大門付近|吉原遊郭 稲荷の謎
五十間通の名残りが残る 旧吉原大門付近

兎歩・反閇とは、陰陽道の星辰信仰に基づく呪法で、特別な足の運びによって悪鬼・悪霊を避けるもの。
歴史民俗博物館の資料によれば、10世紀(900-1000年)後半に唐代後期密教の影響を受けて取り入れられ、国家祭祀にも組み込まれたという。

さらに、新吉原へ向かう五十間道の入り口には見返り柳が植えられていた。
この柳は、悪鬼を防ぐ「社」としての役割を持っていたとされる。

その弐 まとめ

新吉原の五つの稲荷社は、陰陽道の五行の印で街を守護する結界であった。
さらに五十間道の兎歩・反閇など、新吉原建設の際にあらゆるところに陰陽道の呪法が施され、五つの稲荷社はその一端であった。

文:妖怪館

その弐 吉原遊郭の稲荷と陰陽道の繋がり参考文書

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