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妖怪道中記 現代編

宮中祭祀と刀剣 続

レポート番号3 2018/11/10

日本の刀剣「鶯丸友成(以下、鶯丸)・鶴丸国永(以下、鶴丸)が使用されいる」とネット上でいわれている歳旦祭についてまとめた「宮中祭祀と刀剣」の続きです。

「続」ではその事実確認といつから使用されていたか・その背景には何があったかを探ってみました。

歳旦祭に鶯丸・鶴丸はいつから登場したの?


まず、鶴丸が鶯丸と同様に歳旦祭に使用されていると記述されているwikipediaの脚注にあった「御物調書」ですが、所在を確認することも出来ませんでしたノヘ。

ですが!

宮内庁公文書館で歳旦祭を含めた宮中の行事の記録が一年ごとに記されている「儀式録」を閲覧させてもらうことが出来ました!!

歳旦祭資料のイメージ

※公文書に似せたイメージのイラスト

儀式録で分ったこと

儀式録には歳旦祭の祭祀の具体的な流れが書かれている年がありました。そこには鶯丸・鶴丸の名称は記されていませんでしたが、「御劔」(読み方は「ぎょけん」と思われる)の記述をいくつか見つけました。

手がかりだった御物調書が見つけ出せず実際のところは分らないのですが、ただ悲しんでいるだけでは何も始まりません!なのでひとまずは「歳旦祭で使用されている」という事にしちゃって儀式録の

・鶯丸、鶴丸が献上された時期(明治)

・歳旦祭の名称が用いられ始めた時期(大正)

を閲覧して「いつから使用されていたか」を探ってみました。

公文書には歳旦祭の名称が使われて~大正6年まで御劔の記述が一切無く、大正7年から御劔の記述がありました。さらに、

「…(略)侍従一人御劔ヲ奉シ 同一人後に候ス」
その次に「…(略)侍従 御劔ヲ奉シ簀子に候ス」

繰り返し二度に渡り「御劔ヲ奉シ」(御剣を奉納するという意味だと思います)と書かれています。これは儀式の場に二振りの御剣があり、それぞれ一振りずつが奉納されたと考えるのが自然です。

(明治時代の早朝に行う四方拝にも「御劔」の記述はありましたが、献上される前の年にもあったので関連無さそうです)

つまり、

鶯丸・鶴丸が歳旦祭に登場したのは大正7年から…!!カモシレナイ!

大正7年はどんな年?


そうなると、大正7年ってどんな時代だったのか。どんな状況の中で宮中祭祀を行っていたのか。気になるところです。

日本国内の動き

大正7年は激動の中心でした。

この年に第1次世界大戦が終結します。後に新たな大戦を迎えることになりますがその一方で、天皇によるものではなく、国民の意思を反映するための議院内閣制を実現をする内閣が設立。更に民衆の間でも自由と平等を求める声が強く上がっていたと言われています。

そうなるとアレです。

「国民の意思による政治・侵略するのでは無く世界の国々と和平を築く」国のあり方は、大日本帝国のこの時期から始まっていたとも言えますね。

国会と議員のイメージ 当時建設された国会議事堂は昭和以降に設立された

※ACさんから拝借

大正天皇は?

一方皇室では、「明治・大正・昭和天皇の生涯(新人物往来社)」によると大正天皇は病気の進行で一線を退く事となり、皇太子が攝政せっしょうになったとあります。

儀式録ではこの年の数年後、歳旦祭に天皇自身はお出ましならず攝政が行っていたことが分りました。なので歳旦祭の儀はこの時期に、「大正天皇から後の昭和天皇に引き継がれた」とも言えると思います。

昭和天皇は戦争を終わらせる為に「人間宣言」をした天皇。そして平和を愛し国民に寄り添うスタンスは、大正天皇にも見られていたと言われています。

また国全体としても天皇が中心の大日本帝国から、戦争を放棄し・国民が中心の自由で平等な日本に移り変わろうと胎動した時期でした。

もし歳旦祭に使用されているのが事実とするのであれば、鶯丸・鶴丸は日本の国のあり方や平和への願いという壮大なバトンタッチを御神刀として立会い、今でも見守り続けているということになりますね!

あとがき


今回は宮内庁の公文書館を初めとした皇居(宮内庁)の職員の皆さまにお世話になりました。場違いなお願いにもかかわらず快く閲覧許可を頂いた上に、職員の方の対応がとても丁寧で感動を覚えました。

この場を借りて心よりお礼申し上げます。誠に有難う御座いました。

文:妖怪館

参考文書

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