定期チャット会でどんな話をしているか…
気になる(?)内容を月ごとに閲覧出来ます
開催日 | 2018年8月31日(金) |
---|---|
お題 | 見えない妖怪 |
参加人数 | 8名 |
参加メンバー (敬称略) | 雪風、 MERON、 みかん、 烏山奏春、 杏ちゃん、 ひだまりこたつ、 わ~い、お茶、 しろた |
参加頂いた皆様 有難う御座いました
8月のお題は「見えない妖怪」。
前回は熱い鵺談義となりました。なので、声だけだったり「正体や実態が掴めない妖怪」に焦点を当ててみるのも面白いかな?、と思い至りました★
最初は定期チャット会のメンバの中で鬼太郎クラスタの双璧である雪風さんとメロンさんが、西洋妖怪とはどうやって意思の疎通をしていたのか、など話していました。
鬼太郎・水木作品のディープな話が増えてきましたね。
参加するメンバによって話す内容が変化するのも、チャット会の面白いところです。
現象ではなく不可視という意味で、特定の人にしか見えない鬼などが烏さんから上がりました。
例えば平安京の陰陽師の安倍晴明や賀茂保憲。鬼を見る能力を「見鬼」と言い、特別な能力があるものしか見えない鬼がいました。
他に同時代の貴族である藤原師輔や六角堂の観音の信仰者と、鬼を見る能力があったのは陰陽師に限らなかったようです。
ちなみに「鬼は笠や蓑を着てたら見えなくなる」というのもあるらしく、ちょっと魔術師っぽいですね。
「特定の人しか見えない」というと、縁のある特定の人の前にだけ現れる幽霊や、霊能者や霊感がある者しか見えない現代で語られる霊も、また同じと言えましょうか。
今度は天狗倒し、空木返し、バタバタ…音だけの妖怪の話題となりました。
天狗倒しは、山で聞こえた正体不明の大きな音に対して、天狗が木を倒す音だとする言い伝えです。空木返し・バタバタもほぼ同じ内容みたいですよ。
天狗は時間を置いて新たな参加者が入室してからも色々ありました。
杏ちゃんから蓑を付けると姿が消える「天狗の隠れ蓑」が出ました。
蓑を着て姿を消すのは、先ほどの鬼にもありました。これ以上踏み込んだ話はなかったですが、地域によって天狗だったり鬼だったりするパターンかも知れませんね。
参加メンバの一人が国際日本文化研究センターの「怪異・妖怪伝承データベース」で検索してくれたので、紹介します。
天狗が飛ぶときにはゴーというもの凄い音がするが、人の目には見えない。
山から天狗が通ってくる酒屋があった。姿は見えないが、通いに来たときには必ず大風が吹き、なにやらただならぬ空気が流れる。酒屋の主人は天狗が通い来てもべつに商売に支障はなく、かえって火の用心がよくなったとさえ言っている。
天狗は隠れ蓑・隠れ笠をつけるので姿が見えない。また、神通力を持っているので、どのような所にも行くことができ、どのようなものにも化けることができる。
寛政七年七月二十一日の朝、ある侍の子が門口で忽然と姿を消し、二十四日の朝に再び現われた。正気に戻ってから何があったかと聞くと、姿の見えないものに連れられて尾張や富士などを空を歩くようにして見て、母のことを思ったら帰ってきたと言った。
呉服屋の長男が行方不明になり、何十人前のご馳走をしてくれと言われたので用意しておくと、姿の見えない者がみんな食べていった。
天狗の姿が見えない伝承は、いくつもあるようで。
これに関して「なるほど!天狗風って言葉もありますものね。宮部みゆきさんの小説にもあります。」
他に、天狗の蓑は燃やしてもその灰を身体に擦り付ければ姿を消せるなどコメントがありました。
さらに閑窓自語は、神隠しの要素がありますね!
ぬりかべに見られる「前に進めなく現象」もあるよねーって話もありました。
蚊帳釣り狸という怪異も同様の現象ですが、こちらは蚊帳という形で目に見えるようです。蚊帳の果たして正体は何なのか…これは言及してはいけない件でしょう。
目目連、夜道怪(埼玉県に伝わる子どもをさらう怪)、河童はどうなのか?という質問がありました。
河童は逸話のバリエーションが多数なので中にはありそうですね。参加者からは「河童にも周りの人間には見えなかった二例ほどあった気が」とのコメントがありました。
あと付喪神も、「彼ら目には見えぬ化生の者」という記述があるようです。
もう一つ。追儺式では追い払われる対象である鬼の姿が見えないため、本来追うものであった方相氏が追い払われるものになった、という経緯があるそうです。
他には「普段は見えないけど、たまに見える妖怪」として
・小豆あらい
・座敷童子
が上がりました。
小豆あらいは小豆を研ぐ音のみかと思ってましたが、どうやら目撃談もあるみたいですね。
創作上の話もありました。鬼太郎では「ぶるぶる」という見えない妖怪が出ていたそうです。ぶるぶるは鳥山石燕の「今昔画図続百鬼」が元でしょうね。
石燕の絵は姿形が描かれてるので、鬼太郎ではどういう設定にしているのか気になるところです。
一方、コミックの墓場鬼太郎では「水神」という妖怪(神様?)の姿形が水そのもので、話が進むと蒸発して見えなくなってました。これも見えない妖怪と言えるかも知れません。
鬼とか天狗とか色々ありましたが、べとべとさんについても多く語りました。
「見えない妖怪」で真っ先に思い浮かぶ参加者も何人かいました。
2015年12月の定期チャット会で、ひだまりさんが話てくれた友人の体験談をこの回も話してくれました。
雨の帰り道の夜。
その友人が歩いていると、後ろからハイヒールの足音がついてくる。そしてその現象は何度もあった。
友人からその話を聞き、「『べとべとさん、先おこし』といったらいいんじゃないか」とアドバイスをした。
後日。友人は言われた通りにしたら、足音だけが追い越していった。
あくまでべとべとさんに遭遇したのは友人なので、べとべとさん好きのひだまりさんはたいそう悔しかったそうです。
その気持ち!わかります!!
べとべとさんは見えないのがアイデンティティな流れになりましたが、その一方で創作によって描かれたべとべとさんについても色々ありました。
「フォルムが良い!」
「水木絵のべとべとさんは透明感があって、触るとぽよぽよしてそうですけどね。」
「実は水木先生しのべとべとさんは、最初期のなんかよくわかんない饅頭みたいなのがいちばんすきなんです。」
「饅頭に口だけ付いてるやつですよね!」(なんだそれw)
どうやら(水木)大先生によるべとべとさんは、よく見かける透明でぽよぽよな形状の他に饅頭型(?)もあるようです。
ブログ「くらげ日和。」さんに、饅頭型らしきべとべとさんのイラストUPされていました。
饅頭型はぷよぷよ型よりシンプルで、不気味さが強い印象です。
ブロガーさんは本にある赤い饅頭型を見て、「べとべとさんは赤いものだ」と長い間思い込んでいたようですね。
べとべとさんの形状から、だんだん妖怪のキャラクター化についての話になってきました。
以前も話題になった内容ですが、その後新規メンバが増え再び浮上です。妖怪について語ると、どうしてもここに行きついてしまうようです。
なので今回は、新規メンバさんの妖怪のキャラクター化についての思いを新たに聞くことが出来ました。
形がつくと怖さが制御できる。
キャラクター化は便利な反面、誤解を生みやすいという意見がありました。京極夏彦の小説では「コトのモノ化」と表現されていたようです。
また、「砂かけ婆も塗り壁も本来は現象ですもんね。それが後々になって、なんやかんやあって、今の可愛らしいキャラクターに・・・。」というコメントもありました。
妖怪のキャラクター化は不安を和らげ広く知られるようになりメリットが多いけど、そのゆえんとなっている現象がおざなりになったり、イメージが固定化されてしまうのは残念ですね。時にブロガーさんのような悲劇にも繋がります。
続いて、近況で開催された「妖怪・ミイラ展」で展示されてたワンコっぽいのぬりかべが、あの水木先生の「ぬりかべぇ」の塗り壁と全然違うモンだからって物議をかもし出してた話になりました。
それに対しては、「年代が古いから正しい」じゃなくて、発想の違いだけなんだとおもったんだけどなぁ。いろんな姿があってもええやん。とのコメントがあり、
別の参加者からは、
「本物って一体?という話になりますもんね。お化けの場合」
「全ての妖怪に形があるか、と問われれば、ないとも言える」
等々の意見がありました。
妖怪道中記の取材では、妖怪収集家の方から自らの怪奇コレクションに対して「ひとつの答えに縛られない自由さに価値がある」と語ってくれてました。
目に見えなかったり、不確かな存在だからこそ、自由に語り描けるのが妖怪の魅力ではないでしょうかね。
以降もべとべとさんや妖怪の認識についての話が続き、人面シャンプーハットなどもあったのですが、ちょっと長すぎになるのでもういい加減割愛しておきます。
あと最後にお茶さんが、「妖かしは見る人次第だね」の返答で
「旗が揺れているのを見て、
旗が実際に揺れているのか・それとも見ている人の心が揺れているのか、
と言った所」
と、なんかカッコいいこと言ってました。以上です。
「見えない妖怪」ってことでしたが、参加メンバが多いこともあって色々と話が弾みました(纏めるの大変だった…あと長くてすみません)。
妖怪は正体が不確かでいい加減な存在だからこそ、自由に語り・表現ができる。
そんな文化をこれからもどんどん広げていきたいですね!
登録すれば2日前ぐらいに届きます