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開催日 | 2018年3月30日(金) |
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お題 | 日本の祭祀と妖怪 |
参加人数 | 5名 |
参加メンバー (敬称略) | ババンバ、 烏山奏春、 馨、 ひだまりこたつ、 しろた |
参加頂いた皆様 有難う御座いました
さてさて。今回のお題は「日本の祭祀と妖怪」。
「妖怪とは何か?」をみんなで探求する妖怪館に相応しい内容となりました。
22時過ぎにババンバさん、烏山さんと続々入室。
皆さん妖怪話に興奮してか、しょうもない誤字脱字が続き、その後も別の参加者も交え誤字脱字が飛び交い、一時chaosな状態でました。
あまりの酷s…じゃなくて多さに神秘的な力が働いているとしか思えず、大半の人が妖怪のせいにしていました(笑。
ひだまりこたつ氏「誤爺と脱爺がでます。」
まずは烏さんが中心となって、妖怪学における神と妖怪の関係性について語られました。
神と妖怪の関係性についての先学として柳田国男氏・小松和彦氏が挙げられました。要約すると、
妖怪学の前段階と言える民俗学=柳田説から時代が進み、小松説はそこから現代の妖怪学へとアップデート・発展させた印象ですね。
しかしながら、両説の範疇からも外れるケースがあるのかも??という話が出ました。
例えば、江戸時代。時に祀られる対象であった河童は、徹底的な無鬼論を論じた山片蟠桃でさえ、生物として扱っていた。「祀る」という行為も「妖怪」というより狐や蛇という認識であったのでは?というご意見。
上記を踏まえると、「河童が妖怪」という認識は案外新しかったりするのかも知れませんね。これはこれで興味深くあります。
あとやはり祭祀はそもそも宗教儀礼ということで、神道・仏教・儒教などの「妖怪の各宗教ごとの扱われ方」も抑えておきたいねって事でした。
馨さんからは、独自の考察として信仰心が薄れ零落した神として見越し入道を挙げてくれました。
「見越しは神輿に転じますが、それを『見越す』。つまり、神がおわす高い所を下にみるので信仰がなくなったのでは。」との事です。面白い着目ですね。
子どもの頃。三社祭の時には「神様がおわす御神輿を、ビルの上の階とからなど見降ろすのはあってはならない行為」と教わりました。人が見降ろすのは、もはや神ではない=つまり零落ということですね。
また、泉鏡花の小説で広く知られている刑部姫に関しては、石燕が描いたりした結果妖怪と思われるようになったけど、「基本的には神じゃないか」って意見がありました。
遠野物語で知られる養蚕業の神さまのオシラサマですが、「なんとなく妖怪のイメージがある」というコメントを頂きました。水木氏のイラストのイメージが理由だそうです。
有名絵師が描いたことにより、神から妖怪へ移り変わるケースもあるようで。
これでもある意味「神の零落」と言えましょうか。
かつて神であった妖怪ということで、大和朝廷の成立前から生活していた先住民や先住民の信仰していた神についても触れました。
弾圧の対象であった土蜘蛛の一族は、またその信仰の対象であった神は妖怪として陥れられた、という説があります。(浅草の牛鬼で触れた沢氏の説など)
今回は、土蜘蛛は宗教性を帯びた首長であるという説もあり、土蜘蛛=妖怪という見方に否定的な意見も見られました。
海外では他の宗教を弾圧・排斥する時は、その信仰対象であった神を悪魔とするケースがあります。現代日本の一部の宗教でもあるくらいです(実際にそういう講義を聞きました)。
たとえ大和の政権にとって「害を為す妖怪」であったとしても、それはやはり一方的な見方でしかないのだなーと思います。
でも妖怪に見られることは、
個人的には喜ばしく、嫉妬を覚えます!!(台無し)
また大和の一言主神社は、「背は低く手足が長く山や洞穴に集団で暮らし死んでも祟るから、土蜘蛛の死体をバラバラにした」という話もありました。
大和の一言主神社がちょっと分からなかったので検索でカンニングしたところ、奈良県の葛城一言主神社に「土蜘蛛塚」なるものがあるみたいです。
(奈良県)御所氏観光ガイドには、古事記の時代に雄略天皇(幼武尊)が葛城山に狩りをされた時に、一言主大神が顕現されたのが由来とありました。
この由来からすると、土蜘蛛塚は同じ古事記や日本書紀に登場する土蜘蛛一族のことだと推測出来ますが、平安時代は源氏物語で退治された山蜘蛛だとも言われています。
でも、「平安の軍記物と結び付くのってどうもピンと来ないな~っ」て個人的に思ってしまいます。その辺について、源氏物語の剣巻に詳しい烏さんからの見解がありました。
剣巻で頼光が退治した「山蜘蛛」は、剣巻をベースに作れた謡曲「土蜘蛛」によって日本神話(日本書紀や古事記)に登場する土蜘蛛と結びつけられた、後付けの設定ではないかって事でした。
「?」状態のしろたもスッキリする所ですが、土蜘蛛一族も倭の国家からの侵略を受けたと言われていることから、政治で失脚したり国を追われた人が怨霊となって都を祟る…要は「御霊(ごりょう)信仰」の影響もあるかも知れませんね。
その後、怨霊や妖怪が祀られたスポットが話題となりました。
こうして振り返ってみると、「神が零落して妖怪になる」という一方通行ではなく、神であったり・妖怪であったり、時代や人々の見方次第で変化していくものなんだということが分かりますね。
それから、御霊信仰の一つとして菅原道真公について。
今では学問の神として祀られていますが、「由来が分からなくて学問の神ということにした」もしくは「御霊に対する信仰が忘れられた」という経緯があったらしいです(うろ覚えの情報とのことなのでご注意)。
そこ重要なところなのに!!
最後に烏さんから「妖怪と神に関しては、もっと深く議論しなければ」と意見がありました。
理由としては、おのおのが自由に妖怪を思い描いた結果、その概念は肥大化し定義不可能なものになってしまっている。小松妖怪学でも何処から何処までを妖怪と呼ぶかを決められていなかった。
そのためには、体系的な整理が必要と語っていました。
例えば、現代の人々にとって「水木しげる氏が描いたもの=妖怪」になったり、江戸時代であれば「石燕が描いたもの=妖怪」であったり、後年のイメージで過去が作られてしまう傾向がある。
そういった「妖怪」と認識されたものたちは1元的な存在ではなく、元は信仰されていた神であったり自然現象であったりその複合であったりの「何者か」が分からなくなっている、ということではないかと思います。(違っていたら連絡ください。烏さん。)
それから、「神と妖怪は普遍的に関係性があったのか」という点は無視されたままになっているから、
「どのように妖怪観・神観は変わっているのか」
時代や共同体ごとにきちんと調べなくてはって言ってました。ワクワクが止まりません。
そして、最終的には妖怪は面白いねってことなりました。
他には、ババンバさんが卒論で取り上げているとのことで、オタク文化やオタク文化がもたらした秋葉原の発展についてあれこれ。
荻野氏の提唱した鵺のレッサーパンダ説について。もっと検証しないと的な話をしてました。
結局、情報が拡散されただけで実態が分からない。とりあえず平成の妖怪ヌエカルとなりました。
妖怪と神の関係性について熱く語ったり、お題を主軸に纏めるの大変なほどたくさん語りました!嬉しい悲鳴です!
妖怪と神について皆さんどう思っているのか、今後もいろいろな人に聞いていけたらなーって思いました。
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